記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ハサミの切れ味を感じるとき、何を思う?

「チョッと違う考え方」というブログで書いていたこと。三つ目。

ハサミがもたらす感覚と、そこに横たわる普遍原理の発見、それの実社会への応用可能性の話

1.その時に限って、ハサミの切れ味を感じた

ある日、新聞の切り抜きをしていた時のこと、
ハサミで切る時の感覚がいつもと、ちょっと違う。
このときのハサミ、いつも使っているハサミではない。


切った瞬間、切るときの振動が手に伝わってくる。
「ジョリ、ジョリ、ジョリ」という感覚。結構、心地いい。


よく切れるハサミだったら、「シャッ、シャッ、シャッ」という感覚。
でも、このハサミは違う。なんか、いい。感じられる。


2.何故だろう?


何故だろう?と、思った。
どうして、「ジョリ、ジョリ、ジョリ」なんだろう?
「シャッ、シャッ、シャッ」ではなくて。


このハサミの刃がどうなっているかを、見てみた。
そうしたら、片方にギザギザがついている。


なるほど。これだったら、確かに「ジョリ、ジョリ、ジョリ」になる。
感じられる。心地よくなる。


3.何故だろう?(その2)


一体、どうして、こんなギザギザがついているのかと思った。
別に、シャッ、シャッっと切れるようにしておけばいいのに。


本当の理由は他にあるのだろうが、
次のように思えてしかたがなかった。


『これは、ひょっとしたら、「切っているのだ!」という感覚を、
使用者が実感することができるよう、わざとギザギザにしてあるのかもしれない』


こう思えるほど、ジョリジョリ感は、新鮮だった。
切っているときの感覚に、心地よささえ感じられた。


4.これは一体、どういうことだろう?


これは、一体、なんなのだろう?
どういうことなんだろう。


あまりに感覚が新鮮だったので、この出来事が、
一体どういうことなのか、少し考えてみた。


以下のことが見えてきた。


(1)切れ味をよりよくしていくと、ジョリジョリ感が薄れ、自分自身の手を動かして切っているにもかかわらず、自分の手で「切っているという感覚」が喪失してくる。そして、「切っている」という感覚から、「ハサミを動かしている」という感覚に近くなる。


(2)逆に、わざと「切っている感」を与えることによって(上の例では、ハサミにギザギザをわざといれることによって)、「自分が切っているんだ」ということを再認識させることができる。ひょっとしたら、「切ったぞ」という満足感すらも、生まれたりするかもしれない。


いろいろなことで、このようなことが見られるのかもしれない。


つまり、ある行為を楽にしたり、便利にすることを求めていくと、その行為をしているという感覚が薄れてくるということ。


もう一つは、その行為をしていることを思い出させる、その行為自体をすこしでも楽しくできるようにするには、わざと、その行為をしにくくしてあげるのが、方法の一つとしてあるということ。


ゲームなどは、まさにこのような性格がある。


これは、ひょっとすると思いがけない応用分野があるかもしれない。


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

中学留学

Author:中学留学
日本の保育園と公立小に通った少年Ryuが首都圏中学受験をトライするも、今ひとつ受験勉強に身が入らず、中学からアメリカB州のA校に留学。父(私)から見た中学留学観察の記録と、私の頭に想起した諸々の考え

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。