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自分が「真に」好きなこととは、どんなことだろう?

「チョッと違う考え方」というブログで書いていたこと。4つ目。

自分の「究極の意志」が分かれば、こんないいことはない。一体自分は何が好きなのかを自問自答していた時、自分が「真に」好きなことがどのようなものかについて、一つの考え(仮説)が浮かんだ。


1.「生きる」ということの意味

(注:「目的」ではなく「意味」。私は、生きることの目的は問わなくていいと思っているし、実際、問わない。)

「生きる」ということの大きな側面は、自分の意志や欲求を外に表すこと。

例えば、水が飲みたいという欲求が起こった時に、

○ コップに水をくむという行為、
○ それを飲み干すという行為、

といった形に表すこと。

このような生理的な欲求は、一般的に、自然に起こってくるので分かりやすいが、「意志」というのは、かなり分かりにくい。


2.自分の「究極の意志」が分かると良いが。。。

より満足できる生を生きている、という状態は、恐らく、自分の意志に従った活動や行動ができているという状態だろう。

「自分の意志」というのは、色々な種類があるだろうが、根本的ともいえる自分の意志、というのが自分で分かれば望ましいのだろう。

自分自身の「究極の意志」と言えるもの。

といっても、このように言うことのできる意志を認識している人など、実際には、この世に極々わずかしかいないと思う。

そこまでいかなくても、自分自身が「真に好き」と言えるものがあると(自分で認識できていると)、望ましいに違いない。


3.「真に」好きなこととは、どんなことだろう?

以前に、一体自分は何が好きなのかを、真剣に考えていた時、「真に」好きなことについて、一つの考えに達した。

以前、博士論文トピック探しの経験について書いたが(注:このブログでは今後掲載予定)、自分自身を魅了する分野に関する研究をやらないと、忍耐力が持続しないことが分かっていたため、研究トピック探しの際、興味がわくたびに自問自答をして、自分自身を確かめていた。

「何故、自分は、この分野にひかれたのだろう?」、と。

そして、何らかの理由を、自分に与えることができていた。
これで、自分自身、納得できていた。

しかし、ある時、このように、自分で理由づけができるような分野は、「真に」好きだ、とは必ずしもいえないと思い始めた。

時と共に、好きだという結論に至った理由自体の妥当性が、変化することに気がついた。つまり、「***だから、好き」と言えたのが、時と共に、「***だから」というのが怪しくなってくることに気づいた。そうなってくると、必ずしも、「好き」とは思えなくなる。

その時に、一つの仮説を思いついた。

自分が「真に」好きなこと(あるいは、「究極の意志」)は、自分でも、どうして好きなのかがよく分からない、完全な説明や理由づけが不可能なものであろう、という考え(仮説)だった。

つまり、

どうしてか自分にも分からないが、面白い、とか、やってみたい、という類のことでないと、自分自身が「真に」好きなことではないだろう、ということ。


4.「真に」好きなことか否かのテスト

上記の考えが有効だとすると、最良の策は、シンプルすぎるほど明快なものとなる。

つまり、

○ 自分が好きだと思っている事について、何故好きなのかの理由・説明を考えてみる
○ 説明がつくようなら、それは恐らく、自分が「真に」好きなことではない
○ 逆に、どうひっくりかえっても説明がつかなければ、それが、自分が「真に」好きなことである可能性がある

というもの。


ところで、自分が「真に」好きなことを発見するのに有効、と思われる一つの方法は、以下の通り。

○ 子供の頃を思い出す。特に、結構小さいとき。
○ その頃、無意識に、好んで、あるいは、繰り返しやっていた行為や行動がなかったかどうか、を想い出してみる。
○ その行為や行動が示す意味を考えてみる(これは大人の視点で考えてみるのがいい)。ここにヒントがあるかもしれない。


何故かというと、子供の頃は、理由や説明など考えずに、自分の中から湧き出るような欲求に従って行動しているのが普通だろうから。だから、子供の時に繰り返しやっていたようなことは、「究極の意志」の表れである可能性がある。

(見つけられなくても、悲観する必要は全くない。そんなに簡単に見つけられたら、逆に、人生つまらなくなる。「探す旅」も、それはそれで、面白い。)


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プロフィール

中学留学

Author:中学留学
日本の保育園と公立小に通った少年Ryuが首都圏中学受験をトライするも、今ひとつ受験勉強に身が入らず、中学からアメリカB州のA校に留学。父(私)から見た中学留学観察の記録と、私の頭に想起した諸々の考え

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