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「牡丹と薔薇」で作用した動機付けの原理と、その応用

「チョッと違う考え方」というブログで書いていたこと。5つ目。
2005年に書いたことなので、馴染みがないかもしれないが、
言いたいことは、かなりの程度普遍的(と思う)。


すこし古いが、「牡丹と薔薇」をあれほど激しくした動機付けの原理の話。「牡丹と薔薇」の原理は、個人の活動でも企業経営でも間違いなく効果的。


1.「牡丹と薔薇」とは?

「牡丹と薔薇」という、2004年の初めに一世を風靡した(?)、テレビドラマを覚えている方も多いかもしれない。

昼ドラにしては異常に高い視聴率を上げたこと、展開された演技が激しかったことが、特に話題を呼んだ。

昼ドラにしては、これまた異例の、ドラマ全編を2時間に圧縮した完結編がゴールデンタイムに放映される、というおまけまでついた。(私自身は、この完結編を見た。)

このドラマの「凄さ」は、なんといっても出演者の愛憎極まった激しい演技にあった。実際、出演者の表情や演技の激しさの度合いは、日本のドラマでは見たことがないほどのものだった(特に「薔薇」役:ドラマでの名前は「香世」)。

この「凄さ」の源泉が、今回のお話。

(このドラマの概要は、一番下の「続きを読む」参照)


2.なぜ、そこまで激しくなれたのか?

それにしても、どうして、これほどまでに激しい演技が、このドラマの出演者にはできたのだろうか?

「薔薇(香世)」役の小沢真珠さんの強烈なキャラクターが主因、との見方もあるものの、それは一面的な見方と思う。

去年、完結編が放映されたころ、あるテレビ番組で、「牡丹」と「薔薇」が共に愛した男性役を演じた西村和彦さんがインタビューされていて、その中に一つの答えがあった。

彼によると、ドラマの終盤の撮影は、一番「最初に」、ラストシーンを撮ったのだそう。そのラストシーンというのは、牡丹と薔薇の二人が穏やかな表情で夕日を見つめて終わるというものだった。二人の平和な愛と幸せが象徴されているようなシーンである。

彼が言うには、これが、非常に良かったというのである。つまり、ハッピーエンドのラストシーンを、ドラマ終盤の撮影の中で、最初に収録したということ。

「えっ?何故?」

彼が上記のような回答をしたとき、瞬間的に頭の中が疑問符で一杯になった。でも、そのあとの説明でどういうことかが見えてきた。

ハッピーエンドのラストシーンを最初に撮ることが、キャストとスタッフに与えた影響である。


3.ラストを先に撮ると、何がいいのか?

つまり、こういうこと:

終盤の撮影で、ラストを最初に撮ったことによって、出演者及びスタッフ全員が、最後がどうなるのか、どれほどハッピーなエンディングが自分たちを待っているのかが、終盤の撮影の最初に、肌で実感できたわけである。

自分達が、どこに向かうのかが、頭と体に刻み付けられたということだ。そして、その後、愛憎交錯する終盤の撮影に入ったわけである。

終盤の激しいシーンの撮影の時、自分達が如何にハッピーに終われるかが既に分かっていたことによって、愛憎シーンを、より激しく演じることが出来たというのである。

彼らの頭の中には、どれほど激しく争っていても、私たちは、最後は幸せになれる、どれほど途中が不幸でも、私達は幸せに向かって突き進んでいるのだという確信があったわけだ。それが体で分かっていたから(つまり脚本上ではなく、実際にラストシーンを撮り終えていたことによって)、より激しく、愛憎極まった演技をすることが出来たと思う、というわけである。

この話は、なるほど、と思った。

要するに、いくら憎しみ合っていても、最後には幸せが待っていると100%確信できていれば、その前の段階では、どれだけ憎しみあったっていいんだ、とことんまで憎しみあってやる、究極的な憎しみを見せてやる、という気にもなる。そして、その気持ちが、激しいシーンでの演技に反映されたというわけである。


4.「牡丹と薔薇」の原理と、その応用可能性

この過程で作用した原理は、もうおわかりかと思う。

この話の本質の一つが、「お尻(最後)が分かると、そこに至るまでの道筋が見えてくる」ということ。

最終形の具体的なイメージを持つことができると、途中での道筋が発散してしまうのを抑えられると同時に、焦点が定まる・迷いがなくなることによってエネルギーの発現度合いに大きな差が出るということ。

「牡丹と薔薇」で、もしハッピーエンドのイメージが各人に確立していなかったら、最後にやってくる幸せの度合いが実感できず、完全開き直りの愛憎演技を行うのは、難しかったに違いない。

(注: 因みに、この話のもう一つの本質は、北野武さんが本で書いている「振り子の原理」ですが、それについては、またの機会に。)

この原理は、皆さんの仕事や活動においても、色々な局面で、大いに役に立つと思う。クライアントに対しても、同僚・部下に対しても(時には上司や経営陣に対しても)、そして自分に対しても同様である。

つまりは、最終形のイメージを与えることによって、動機付けを行うことができたり、より高いレベルのエネルギーを出してもらえる・出せる可能性が高まるのだと思う。「牡丹と薔薇」では、出演者に対して、これがまさしく成功した、と言っていいのだと思う。

自分にとってのチャレンジの機会に、『「牡丹と薔薇」の原理がうまく作用したよ』、と言ってみたいものだ。
<参考>

「牡丹と薔薇」のストーリーの概要:

ある姉妹が(牡丹と薔薇)、自分たちに姉妹が居ることを知らされず別々に育ち、子供の頃に知り合ったものの姉妹とは知らず、大人になって運命的な再会を果たす。その際、親の不倫がきっかけとなって(詳細省く)初めて姉妹である事実を知ることになる。

その後、二人は一人の男性を愛するようになり、それがもとで激しい愛憎劇が繰り広げられる。

それが一つの要因で両者(牡丹と薔薇)は失明、互いに支え合って生きるようになる。その絆は強固なもので、両者が愛した男性は不要とされる。

その後、姉が視力を取り戻すものの(妹は失明のまま)、運命的な姉妹愛からくる絆を絶つことはできず、二人はそれまでの激しい憎悪を忘れたかのように平和に二人で生きていく、という所で幕を閉じる。

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プロフィール

Author:中学留学
日本の保育園と公立小に通った少年Ryuが首都圏中学受験をトライするも、今ひとつ受験勉強に身が入らず、中学からアメリカB州のA校に留学。父(私)から見た中学留学観察の記録と、私の頭に想起した諸々の考え

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